東京高等裁判所 昭和52年(う)2234号 判決
被告人 小澤忠雄
〔抄 録〕
証拠<略>によれば、
1 被告人は、昭和五一年六月七日午前零時四〇分ころ、酒に酔って、原判示飲食店「馬太郎」に立ち寄り、ビールを飲みはじめて間もなく、大声で他の客にいいがかりをつけ、同店主伊沢俊幸に注意されるや、さらに暴れる態度を示し、その騒ぎを聞いて同所にかけつけた大崎警察署勤務警察官片桐吉治に同店前路上に連れ出され、帰宅を促されるや、憤激し、同警察官に対し、「この若造お巡り、お前に用はない。」などと怒号し、手拳で同警察官の顔面を殴打するなどの暴行を加えたこと、
2 被告人は、同所で、かけつけた前記警察署員に逮捕され、同警察署に連行され、飲酒検知のテストをうけた後、取調べをうけたが、その間「俺は何も悪ぎでやったんじゃないんだ。かんべんしてくれよ。お巡りさん。」「お巡りなんか殴らない。」「うるさい。何が弁護士だ。」などと大声でわめいたり、「帰らせろ。」といって、椅子から立ち上り出て行こうとしたり、弁解録取書を破ろうとして、手をかけたりしたこと、なお、本件犯行の約一五分後に行なわれた飲酒検査の結果によれば、被告人は、呼気一リットルにつき約〇・五五ミリグラムのアルコール分を身体に保有していたこと、
3 被告人は、弁解録取のための取調べをうけた後、留置場に留置され、翌朝目をさまして捜査官の取調べをうけたが、その際、被告人は、前記「馬太郎」に入って奥のテーブルでビールを飲みはじめて間もなく、他の客から何か声をかけられ、その客のところに行って口争いをはじめたこと、「馬太郎」の主人から注意されたこと、被告人を引張って表に連れ出した人がいて、その人の顔を右の手拳で一回殴ったことは覚えているが、それ以上のことは記憶が全くない旨供述し、その後、捜査期間中に、被告人を殴った相手が警察官であることは判っていた旨供述を訂正したが、右犯行に至る経緯については、被告人の記憶に基づく供述は得られなかったこと、
4 被告人は、肩書住居で理髪店を営んでいるものであるが、昭和四五年九月ころより本態性高血圧ならびに糖尿病と診断され、同五〇年二月以降血糖降下剤トリプタマイドD八六〇の投与をうけ、空腹時において、血糖一三〇ないし一九五ミリグラムデシリットル、食後は血糖三〇〇ミリグラム、デシリットルを超える状態にあり、主治医の指示もあって飲食を慎んでいたところ、本件当夜、かねて子宮筋腫の手術をうけ、まだ健康が回復していない妻きよ子の理容手伝いの仕事ぶりなどに不満を持ち、気晴らしに午後一〇時ごろ、自宅でブランデー水割りをコップ二杯飲んで外出し、五反田のキャバレー・ブルームーンでビール中びん五本位を飲み、さらに飲酒をつづけるつもりで、前記飲食店「馬太郎」に入り、ビール一本を注文し、飲みはじめて間もなく本件犯行に至ったものであること、
5 トリプタマイドは、強力な血糖降下剤で、例えばその使用方法を間違えて多量に飲んだ場合、急激に血糖が下り、意識障害をおこすことがあり、いわんやトリプタマイドを服用している者が飲酒することは厳禁されており、右を服用のうえ飲酒した場合、意識の混濁等の意識障害を伴う異常酩酊に陥る恐れが高度にあること、
以上の事実を認めることができ、これらの事実を総合して考察すると、被告人が、本件犯行当時、飲酒酩酊の結果、自己の行為の是非善悪を識別し、これによって行動する能力が全くない、いわゆる心神喪失の状態にあったとまでは認められないけれども、少くとも右能力に著しい障害があったものと認めるのが相当であり、記録を調査しても、被告人が、本件犯行当時、飲酒酩酊の結果、心神耗弱の状態になかったことを認めるに足りる証拠は存在しない。してみれば、被告人が心神耗弱の状態にもなかった旨認定し、被告人の本件所為につき刑法三九条二項を適用しなかった原判決は、被告人の責任能力について事実を誤認した結果、法令の適用を誤ったものというべきであり、右の違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
(綿引 石橋 藤野)